ブラケットの物理的な意味
「次に、ブラケットの意味について考えてみましょう。ブラケットを右側から左側へと読んでいくと、始状態の状態が散乱を受けて、散乱後の状態となった後に、終状態に至ることは、以前お話しました」
ブラケットを右側から左側へ読んでいく
1.始状態:
↓
2.散乱後の状態:
↓
3.終状態:
「ここで、問題の定義から、終状態は、ミュー粒子と反ミュー粒子の2つの粒子が生成された状態をあらわします」
図1.1
「しかしながら、上の散乱後の状態は一通りではなく、ミュー粒子と反ミュー粒子の2つの粒子が生成される以外にもさまざまな可能性が存在するものと考えられます」
「ちょっと待って」
一宮が片手をあげて、石原の解説を中断させた。
「終状態が1つしかないのに、どうして散乱後の状態が一通りではないのよ?」
「それは大変よい質問ですね」
一宮の質問に頷きながら、石原は答えた。
「量子的な現象は、つねに1つの状態に確定的に定まるのではなく、複数の可能性が共存しています。一宮さんは、シュレーディンガーの猫の思考実験をご存じでしょうか?」
「それくらい知っているわよ。量子の世界では、猫が生きている状態と猫が死んでいる状態とが同時に共存しているって話でしょ?」
シュレーディンガーの猫:猫が生きている状態と猫が死んでいる状態とが同時に共存している
(1)猫が生きている状態(50%)
(2)猫が死んでいる状態(50%)
石原はにっこりと微笑んだ。
「それなら話は早いです。電子と陽電子の衝突においても、シュレーディンガーの猫と同様に、複数の異なる状態が共存しているのです。例えば、電子と陽電子の散乱の場合、少なくとも以下の3つの可能性が考えられます」
電子と陽電子の衝突後、少なくとも3つの可能性が考えられる
(1)ミュー粒子と反ミュー粒子の2つの粒子が生成される
(2)電子と陽電子が対消滅して光を放出する
(3)新たに別の電子と陽電子の2つの粒子が生成される
「そして、これら3つの可能性のうち、いずれか1つの可能性のみが実現するのではなく、例えば(1)が20%、(2)が30%、(3)が50%というように、それぞれの可能性が一定の確率をもって同時に共存しているのです」
「つまり、ミュー粒子と反ミュー粒子が生成されるだけでなく、他の可能性も同時に起こっているというの?」
石原は頷いた。
「もちろん、これは極端なたとえ話です。この実験の場合、実際には、ミュー粒子と反ミュー粒子が進む方向にばらつきがあるといった程度でしょう。それでも、散乱後の状態は一通りではなく、複数の異なる散乱状態が共存していることに変わりはありません」
「ケットの左側からブラをかけて、ブラケットをつくるということは、複数の可能性を含むの状態から、運動量のミュー粒子と運動量の反ミュー粒子の2粒子の生成という、1つの終状態に至る寄与のみを取り出すことに相当するのです」
ケットの左側からブラをかけてブラケットをつくることの物理的な意味
↓
複数の可能性を含むの状態から1つの終状態に至る寄与のみを取り出すことに相当
「いいかえれば、ブラケットは、始状態が散乱されて、終状態に至る確率振幅をあらわすのです」
:始状態が散乱されて、終状態に至る確率振幅をあらわす