スーパーサイエンスガール

日々科学と格闘する理系高校生達の超絶難解な日常。

欧米の積分公式集のルーツ

「『岩波 数学公式』にも載っていないような公式が載っているなんてすごい本ね」
「欧米の積分表の歴史を考えれば、日本が勝てるわけがない」
「そんなに歴史があるの?」
 武者さんは頷いた。
「欧米の積分表のルーツは、1810年にドイツの数学者マイヤー・ヒルシュ(Meyer Hirsch)によって出版されたのが始まりとされる」
「1810年?」
「日本でいえば、文化7年。ちょうど徳川家斉(とくがわ いえなり)の治世にあたる」
「欧米では、江戸時代に積分公式集を出していたっていうの? 信じられないわね」

日本でこんなことをやっている間に、欧米では本格的な積分公式集を出版していた。
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「その後、1858年には、オランダの数学者ビラン・ドゥ・アーン(D. Bierens de Haan)によって、さらに広範な積分表が編集され、20世紀の中頃まで使用され続けた。そして1943年には、ロシア(旧ソ連)の数学者であるグラッドシュタイン(Gradshteyn)とリュジク(Ryzhik)が、ビラン・ドゥ・アーンの定積分表を元に、さらに広範な積分表『TABLE OF INTEGRALS, SERIES, AND PRODUCTS』の初版を出版した。それ以来、この『TABLE OF INTEGRALS, SERIES, AND PRODUCTS』が欧米の古典的な積分公式集として知られている」

欧米の積分公式集出版の歴史
1810年 ドイツの数学者Meyer Hirschによる『Integraltafeln, oder, Sammlung von Integralformeln』の出版
1858年 オランダの数学者D. Bierens de Haanによる『Tables D'intégrales Définies』の出版
1943年 ロシアの数学者Gradshteyn, Ryzhikによる『TABLE OF INTEGRALS, SERIES, AND PRODUCTS』の初版出版

「一方、同じ頃、日本ではこんなことをやっていた」

同じ頃の日本の歴史
1810年 伊能忠敬の領内測量着手
1859年 思想家・教育者の吉田松陰を死刑
1953年 ビラン・ドゥ・アーン『定積分表』初版出版

「欧米の出版から100年近く経ってから、ようやくビラン・ドゥ・アーンの『定積分表』が出版されたってわけ?」
 道理で日本は、戦争で欧米にボロクソにやられるわけだ。

「ところで、この本、ただの数学の公式集のわりには、やたらと分厚いな」
 俺が本を手にとると、ずしりとした重みが伝わってきた。
「全部で1221頁ある」
「数学の公式集なのに1221頁もあるの? これを書いた著者って、ほんと数学の変態ね」
 一宮は、大作を書いたであろう2人のロシア人数学者を『数学の変態』の一言であっさり切り捨てた。だが、何にしても、このテキストの重要なソースであることには違いないだろう。積分計算に詰まったときは、岩波の数学公式集よりも、この積分表を参照すれば大いに助けになるはずだ。

武者さんは、鞄の中からMacBook Airを取り出してログインした。
「なんだか高そうなPCだな?」
「学割価格で買ったから、それほどでもない。本当は、Retinaディスプレイ搭載モデルが欲しかったんだけど……」
 彼女は小さくため息をついた。ノートPCすら買う余裕がない俺からすれば、実にぜいたくな悩みだ。

 武者さんは、Google Chromeを立ち上げ、マシンガンのような素早い手つきでキーを叩くと、「Cornell University」のウェブサイトにアクセスした。
「『TABLE OF INTEGRALS, SERIES, AND PRODUCTS SEVENTH EDITHION』は、コーネル大学のウェブサイトからpdfファイルを入手することもできる。興味のある人は、下のリンクを参照するといい」

「『TABLE OF INTEGRALS, SERIES, AND PRODUCTS SEVENTH EDITHION』I. S. GRADSHTEYN and I. M. RYZHIK」
http://www.lepp.cornell.edu/~ib38/tmp/reading/Table_of_Integrals_Series_and_Products_Tablicy_Integralov_Summ_Rjadov_I_Proizvedennij_Engl._2.pdf

「これだけの積分公式集がタダで利用できるなんて、ほんと便利な世の中になったものね」