科学は壮大な推理
「また、微小な散乱断面積 は、微小な立体角を用いて、次のように書くこともできます」
「これから、微小な散乱断面積を足し合わせることによって得られる全散乱断面積は、微小な立体角を用いて、次のように書くことができます」
「ここで、は、微小な立体角に粒子が散乱される散乱確率をあらわしたものと考えられます」
微分散乱断面積:微小な立体角に粒子が散乱される散乱確率をあらわしたもの
「以上で、微分散乱断面積の説明を終わります。ご静聴ありがとうございました」
越野さんが軽く一礼すると、俺と武者さんが小さく拍手した。
一宮はげんなりとして机の上に突っ伏していた。微動だにしないので、てっきり熟睡しているのかと思いきや、やがて退屈そうにあくびをかみ殺しながら大きく伸びをした。
「今までの話を総合すると、この問題は、微小な立体角に散乱される粒子の散乱確率を求めなさい、という意味なわけね。なんてことなの? 問題の意味を理解するのに、9日も使っちゃったじゃないの!」
超絶難解な問題1:以下の式を導け。ただし、:微分断面積、:立体角とする。
「科学とは、1つ1つの地道な理解の積み重ねなんだ」
俺が正論をいうと、越野さんも同意するように頷いた。
「そうですね。科学の学習は、どちらかといえば外国語の学習に似ていると思います。1つ1つの単語の意味や文法を理解して初めて全体の文章が理解できるように、科学の学習もまた、1つ1つの数式や用語の意味を理解して初めて全体像をつかむことができるのです」
外国語の学習:1つ1つの単語や文法の意味を理解して初めて全体の文章が理解できる
科学の学習:1つ1つの数式や用語の意味を理解して初めて全体像をつかむことができる
「ほんと、科学って、超面倒くさいわね」
「仮にも、自然科学研究会の会長であるお前がいう言葉か?」
「自然科学研究会じゃなくて、スーパーサイエンス(SS)団! そして私は SS団の団長! 何度いったら分かるのよ?」
一宮は、腕を伸ばして赤字に黒い文字で『SS団』と描かれた腕章をこれ見よがしに見せつけた。何の予備知識もない人間がこの腕章を見たら、十中八九、軍事ヲタクの危ない団体を連想するだろう。
「それでは、スーパーサイエンス団の団長さんにきくが、この問題の答えはわかるか?」
「さっぱり見当も付かないわね!」
一宮は悪びれる様子もなく言った。『私に解けない問題なんてないわ!』という威勢のいい言葉はどこへいったんだ?
「でも考えようによっては、科学は必ずしも、地道なものばかりでもないと思います」
場が嫌悪な雰囲気になりそうなのを察してか、越野さんが間に割って入った。
「だって、1つ1つの手がかりを積み重ねていって、『宇宙の真相』を明らかにするという意味では、科学は壮大な推理であると考えることもできるでしょう?」
科学は壮大な推理である
1つ1つの手がかりを積み重ねていって、宇宙の真相を明らかにする
「人間の言葉や思考は往々にして嘘をつきますが、数は嘘をつきません。科学が嘘をいっているように思えるときは、数に原因があるのではなく、その数の意味を解釈する人間のほうに原因があるのです。実際、ガリレオ・ガリレイは、『自然という書物は数という言葉で書かれている』という名言を残したことで知られています」
『自然という書物は数という言葉で書かれている』(ガリレオ・ガリレイ)
「数は、この宇宙の真相を知るための唯一信頼できる客観的な証拠となるものです。名探偵が証拠から犯人の特定につながる手がかりを引き出すことができるように、科学では数から宇宙の真相にたどりつくためのさまざまな手がかりを引き出すことができるのです」
数は、この宇宙の真相を知るための唯一信頼できる客観的な証拠となる
「なるほど。『数は嘘をつかない』か」
「人間の思考だけを頼りに推理すると大きな過ちを犯すことは、アリストテレスが証明しています。だから、過ちを犯すことなく真相にたどり着くには、私たちは、数を手がかりとして一歩一歩着実に進むしかないのです」